年も考えずいいおじさんが、KSR110で ミニツーリングと
サーキット等で 遊んでいるブログです。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
鈴鹿に 向かってマフラーとサイレンサーの
バージョンアップを するんですけど どの玉で
行こうかと 迷っていますので とにかく 玉数を
作って いい物を 鈴鹿へ持っていこうかなと・・・・!
まずは エキパイの部分を・・・・・!
ちょと手間は 掛かりましたが フルテーパー仕様で・・・・(^^;
こっちは テーパー+ストレートの サイズUP版・・・!
うしろ回りの レイアウトを するので リヤクッションを フルボトムさせておき・・・・・・・。
ある程度 うしろが決まらないと 前を 固定を出来ないし 前が固定出来ないと うしろ回りを 正確にレイアウトが出来ず ここで手を 抜くと あとで痛い目に合うので おじさん 手間を惜しまず やっています・・・・・・(^^;
しかし おじさん だいぶ疲れてきました。
昼間は こっちをやり 夜中はエンジンを
組立て~の
しかし鈴鹿まで あと14日しか・・・・・・・・。
ヘッドの 口元からのパイプで・・・・・一案
二案の セカンドパイプと テールパイプに行くテーパ部のサードパイプ
とりあえず出来上がり。
三案の エキパイは こんな感じで・・・・・!
一番タイトでクリアランスの 少ない厄介な所も 何とかクリヤーで ・・・・ホ !
うしろ回りは こんな感じので・・・・・・。
しかし まだ仮り付けで ステーとか本溶接 そしてまだサイレンサーも 在るんですよネ~ 。
鈴鹿まで あと13日・・・。
ちょと 休憩中と言うか 別仕事中・・・!
続きは あとでまたUPかな・・・?
バージョンアップを するんですけど どの玉で
行こうかと 迷っていますので とにかく 玉数を
作って いい物を 鈴鹿へ持っていこうかなと・・・・!
まずは エキパイの部分を・・・・・!
ちょと手間は 掛かりましたが フルテーパー仕様で・・・・(^^;
こっちは テーパー+ストレートの サイズUP版・・・!
うしろ回りの レイアウトを するので リヤクッションを フルボトムさせておき・・・・・・・。
ある程度 うしろが決まらないと 前を 固定を出来ないし 前が固定出来ないと うしろ回りを 正確にレイアウトが出来ず ここで手を 抜くと あとで痛い目に合うので おじさん 手間を惜しまず やっています・・・・・・(^^;
しかし おじさん だいぶ疲れてきました。
昼間は こっちをやり 夜中はエンジンを
組立て~の
しかし鈴鹿まで あと14日しか・・・・・・・・。
ヘッドの 口元からのパイプで・・・・・一案
二案の セカンドパイプと テールパイプに行くテーパ部のサードパイプ
とりあえず出来上がり。
三案の エキパイは こんな感じで・・・・・!
一番タイトでクリアランスの 少ない厄介な所も 何とかクリヤーで ・・・・ホ !
うしろ回りは こんな感じので・・・・・・。
しかし まだ仮り付けで ステーとか本溶接 そしてまだサイレンサーも 在るんですよネ~ 。
鈴鹿まで あと13日・・・。
ちょと 休憩中と言うか 別仕事中・・・!
続きは あとでまたUPかな・・・?
PR
COMMENT
カレンダー
03 | 2024/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 |
リンク
カテゴリー
最新コメント
最新記事
(11/12)
(09/20)
(09/20)
(09/10)
(09/10)
最新トラックバック
アクセス解析
硫黄島 探訪
みなさんは硫黄島、正確には東京都小笠原村硫黄島についてご存じでしょうか。第二次世界大戦最大の激戦地の一つといわれていますが、戦後は米軍、後に自衛隊の基地として使われているため、一般の人はなかなか訪問できません。しかしそれだけに激戦の跡、さらには亜熱帯性の豊かな自然が残されているのも事実です。
このページでは普通の人がなかなか行くことのできない硫黄島について、私の訪問記を中心に紹介していきたいと思います。
上部のリンクから先へ
祖父の硫黄島戦闘体験記
私の祖父は昭和61年に他界しました。それからもう20年近くが経とうとしていますが、祖父は「戦闘体験記」なる手記を残していました。祖父は明治45年 (大正元年)生まれで、日中戦争当初から4度にわたって召集を受け、太平洋戦争中は最大の激戦地の一つ「硫黄島」へ従軍していました。戦後、その時の記憶や手帳に書いてあった記録を元に・・・。
上部のリンクから先へ