年も考えずいいおじさんが、KSR110で ミニツーリングと
サーキット等で 遊んでいるブログです。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
クランクのマスの テストに あたって加工と
重量測定をして見ました。
ノーマルの クラッチの 全重量は 1692.6 g
でした。
そして ベースの 加工をして 2種類の ベース
を 作って見ました。

これの重量は 918・3 g で
*内径と外径は 一皮削ったので 少しだけ軽いです。

こちらは 590・3 g でした。
そして ノーマルの部品も 使うので こちらの 重量も 測ってみました。

98 g でした。

これは 181 g

こっちは 53 g

8・5 g でした。
あと クラッチ・シュウは 145 g (3個)
あと スプリングは 量りわすれちゃいました。
必要な方は 自分で量って下さいネ!
おじさん これらを 使って マス違いを チェックしたいんですが・・・・鈴鹿の現地で やるしか
ないのかな~!
時間が 足りませ~~ん!!
あと参考までに ベースの加工は TIG 溶接で やっています。
ベアリングの 代わりのカラーは 35 cで
圧入しろは 加工屋さんに お任せして
作ってもらいました。
もし 同じ様な物を 作る様でしたら実績のある
所で 作って下さいネ。
あくまでも 自己責任のもとで・・・。
適当に やるとクランクの ダイナミックバランスが崩れ 又最悪のパターンは 溶接不良で ・・・・・・!
4月2日に 鈴鹿に 行ってきました。
一応この仕様で 行って来た訳ですが
うぅ~ん・・・・・・・!!
いい所もあり 悪い所もあり まだ見直しする
必要ありかなと・・・・・・!
むずかしいですネ・・・・・・!!
重量測定をして見ました。
ノーマルの クラッチの 全重量は 1692.6 g
でした。
そして ベースの 加工をして 2種類の ベース
を 作って見ました。
これの重量は 918・3 g で
*内径と外径は 一皮削ったので 少しだけ軽いです。
こちらは 590・3 g でした。
そして ノーマルの部品も 使うので こちらの 重量も 測ってみました。
98 g でした。
これは 181 g
こっちは 53 g
8・5 g でした。
あと クラッチ・シュウは 145 g (3個)
あと スプリングは 量りわすれちゃいました。
必要な方は 自分で量って下さいネ!
おじさん これらを 使って マス違いを チェックしたいんですが・・・・鈴鹿の現地で やるしか
ないのかな~!
時間が 足りませ~~ん!!
あと参考までに ベースの加工は TIG 溶接で やっています。
ベアリングの 代わりのカラーは 35 cで
圧入しろは 加工屋さんに お任せして
作ってもらいました。
もし 同じ様な物を 作る様でしたら実績のある
所で 作って下さいネ。
あくまでも 自己責任のもとで・・・。
適当に やるとクランクの ダイナミックバランスが崩れ 又最悪のパターンは 溶接不良で ・・・・・・!
4月2日に 鈴鹿に 行ってきました。
一応この仕様で 行って来た訳ですが
うぅ~ん・・・・・・・!!
いい所もあり 悪い所もあり まだ見直しする
必要ありかなと・・・・・・!
むずかしいですネ・・・・・・!!
PR
COMMENT
カレンダー
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |
リンク
カテゴリー
最新コメント
最新記事
(11/12)
(09/20)
(09/20)
(09/10)
(09/10)
最新トラックバック
アクセス解析
硫黄島 探訪
みなさんは硫黄島、正確には東京都小笠原村硫黄島についてご存じでしょうか。第二次世界大戦最大の激戦地の一つといわれていますが、戦後は米軍、後に自衛隊の基地として使われているため、一般の人はなかなか訪問できません。しかしそれだけに激戦の跡、さらには亜熱帯性の豊かな自然が残されているのも事実です。
このページでは普通の人がなかなか行くことのできない硫黄島について、私の訪問記を中心に紹介していきたいと思います。
上部のリンクから先へ
祖父の硫黄島戦闘体験記
私の祖父は昭和61年に他界しました。それからもう20年近くが経とうとしていますが、祖父は「戦闘体験記」なる手記を残していました。祖父は明治45年 (大正元年)生まれで、日中戦争当初から4度にわたって召集を受け、太平洋戦争中は最大の激戦地の一つ「硫黄島」へ従軍していました。戦後、その時の記憶や手帳に書いてあった記録を元に・・・。
上部のリンクから先へ